旅するブログ!

写真家 大学のチベット、中国、ベトナム、カンボジアなどの秘境辺境、祭りの写真と文章!
日本の秘湯ツーリングなど、旅するブログ!

<< November 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

2009.04.21 Tuesday

ベトナム!メコンデルタ・カンボジア国境の町・ハーティエン!海老の香りが町中に広がる!



一時メコンデルタばかり旅していた。

カンボジア国境の町・ハーティエンは、必ずよる町だ。
ベトナム最果ての町だけあって、経済発展で沸き返る喧騒はない。

このときはちょうど海老の天日干しで町中が海老の香りであふれていた。

赤みがかったオレンジの海老色が眩しい。

昨年カンボジアからの国境が外国人にも解放されたようだ。
公共の交通機関はなく、バイタクなど乗り継いでいくしかない。

ちょっと面倒だが、ホーチミン回りよりは、かなり効率がいいルートといえる。


2008.06.13 Friday

ベトナム!ハノイ!雨季の始まり!



5月の初旬、雨季の始まり!

旧市街の広い通りは、車とバイクで埋め尽くされ、
気をつけて歩いていてもいつバイクに引っ掛けられるかわからない。

細い路地は、人通りも少なく、安心して通れる。

不意に雨が降ってきた。

まだ雨季の走りなので、すぐにやむ雨だ。

これから長い雨季が始まる。

2008.06.03 Tuesday

ベトナム!ハノイ2008!ビアホイ・スクランブルは今!



ハイシーズンのせいか、夕方から、ツーリストの白人で
座る席がないほどの盛況ぶり・・・

ビアホイジョッキで2000ドンから3000に値上げ・・・
路地に行くと2500でもやっていた。

コーヒーより断然こちらのほうが安いため、昼からビールを飲んでいる人が多い。
ビアホイは、相変わらず、薄くてあっさりした水のようなビール。
回転が速いせいか、ホーチミンより鮮度がよく、ビアホイくささも少ない。

夕方は混みすぎていたので、主に昼間飲んでいました。

2008.06.02 Monday

ベトナム!ハノイ!2008年5月1日!



メーデーのベトナム・ハノイ。
やはり赤い国では、メーデーは、特別な日。
もちろん人民の休日だ。

旧市街は、バイクと車の喧騒で歩くのも困難な状態だ。

多少空いた通りを見つけ、隙を見て写真を取った。
旧市街を離れれば、それなりに静けさもあるのだが、
今のハノイは、一昔前のサイゴンのようだ。

この季節は、ハイシーズンということで、物は高いし、人も多い。
メーデーは、中国人にとっても大きな休みなので、最初目指した
「リアルダーリンカフェ」は、集団の中国人によって、占領されてしまった後だった。

耐えがたきを耐え、偲び難きを偲んで別のホテルへ・・・

2008.05.28 Wednesday

ベトナム!ハノイ!ビアホイ・スクランブル!2008



ビアホイスクランブルです。
この周りすべて、ビアホイ屋になります。

ビアホイ1杯2000ドンから3000ドンになっていました。
焼き鳥は、2000から5000に・・・

もうびっくりです。

ビンのビールが、10000位しますから、
それを思えば、まだまだ安いといえるでしょう。

数年前を知らなければ、まだまだ激安!
でも、もうタイくらいの物価になりつつあります。

2008.03.28 Friday

ベトナム!フーコック島!デュンドン市場の人々!



朝起きて、ベトナム人は絶対に飲まない砂糖無し(コムドゥン)の
アイスコーヒー(カフェダー)を飲み、日課の市場めぐりをする。

デュンドン市場のメインは、もちろん魚類だが、
島民の胃袋を預かる市場だけに肉類、右奥には、野菜果物を扱う店もある。

市場に行く理由は、珍しい魚が揚がっていないか、夕飯のおかず・・・などのあるが、
一番は、そこに集まる人達を見るためだ。


野菜市場のエリアを右往左往する子供たち・・・
はじめは、遊んでいるのかと思って、写真を撮ろうとじっと彼らの様子を見ていた。
年長の女の子がしゃがんで何かしている。
どうやら遊んでいるのではないようだ・・・。

子供たち三人は、くず野菜を拾っていた。
ちょっと悪いものをみてしまった、写真撮るのはやめようかと思った。

男の子がくるっと振り返って、こちらをキッと見た。
そう、ここはフーコック(富国)。
食べるには困らない豊かな島。

野菜を拾うことにも後ろめたさはない。
子供たちもこの仕事を楽しんでいるようだ。

この後も、この男の子はいい被写体になってくれた。

小さな島フーコック!
また道端で会ったらよろしくね!

2008.02.25 Monday

旧南ベトナムの人々!ベトナム・フーコック島!南ベトナムのナース!



初めてフーコック島に渡ったのは、ラクジアからの木造船だった。
船内には硬い長椅子が並べられ、木製の窓枠は、海水と潮風ですでに変形していて、
高波が来ると開始が容赦なく船内まで入ってきた。

ひとりのおばさんが人懐こい微笑をうかべながら話しかけてきた。
ベトナム語でなく、英語だった。

船内で外国人は、私一人。
とりあえず中国人ではなくて日本人だと挨拶した。
日除けに、ほっかむりしたおばさんが、
訛りはあるが流暢な英語を話すので少々驚いた。

おばさんは、本土ケインジアンに買い出しに行って、その帰りだという。
しばらく世間話などをして、彼女は元国際赤十字のナースだったということが分かった。

フーコック島のアントイに着いたのは、もうかなり日が傾いてからだった。
デュンドンに着いた時には、あたりは真っ暗になっていた。
市場の前に宿をとり、露店でバケットのサンドイッチを買って食べ
疲れてすぐに寝てしまった。

漁港の朝は早い!
何しろ宿は、市場のまん前。
日の出前には、すでに大勢の人の声、船の音がする。
島の朝はこんなものかと・・・眠い目をこすりながら部屋を出て、
宿のベンチに座ってアイスコーヒーを頼んだ。

電話が鳴り宿の主人が受話器を取った。

「電話だよ・・・」   と、主人。

私がここにいることは、誰も知らないはず・・・

「ハロ〜・・・・グッドモ〜ニン!」

昨日、船で会ったおばさんだった。
フーコックは、小さい島なので、簡単に私を探し出すことができる。

「一緒に朝食でもどうですか?」
というので、宿から程近い空港の近くで待ち合わせということになった。

「フォー」を食べながらこの島のことを聞いた。

驚いたことに、彼女は、この島の生まれではなかった。
生まれは、ベトナム中部の中央高地。
国際赤十字のナースとしてベトナムやその周辺国・タイやカンボジアでも
仕事をしたこともあるということだった。

南ベトナムの時代には、自家用車も持っていたそうだ。
ベトナム戦争の話は、ベトナムでは、タブーのひとつになっている・・・
旅行者が気軽に聞ける話題ではないので、よほど仲良くならない限り
こちららから聞くようなことはしないようにしていた。

ベトナム戦争は、つらい戦争だったのだろうが、それは彼女なりに忙しく充実した人生の瞬間だったようだ。
戦争が終わり生活が一変した。
南ベトナム側だった人間には、何かと風当たりが強い。
政府が関係することがらについては、はっきりと分かる差別が存在する。

私がチャウドックのカンボジア国境付近で、
公安に捕まり罰金を払わされたことを話すと、
ベトナム政府、共産党をあからさまに批判し罵倒するのだった。

「私には、アメリカで医者をしている息子がいます。」
「私がアメリカに行こうとしてもベトナム政府は許可しません」
「何回もパスポート申請しても却下されてしまいます」

まぁ共産党の国は、そういうものだろうと彼女の話を聞いていた。

中部生まれの彼女は、この辺境の小さな島の中でも、よそ者であり、
かなりの疎外感を感じていた。

以来毎年フーコック島にいくと、彼女の家に顔を出すようになった。

ある年、いつものように彼女の家に行くと、
なにやら忙しそうにしてる。

「明日息子が帰ってくる」

という。

アメリカから帰ってくるのかと思ったら、そうではなかった。
ケインジアンの船舶関係の学校に通っている息子が帰ってくるのだそうだ。

帰ってきた息子は、高校生くらいの若い青年だった。
漁師か船乗りになりたいのだということだった。

ある年には、また別の青年が家にいた。
彼女は、「息子です」と、紹介した。

そのころには、息子は4〜5人いる計算になっていて、
日本人の私から見れば結構な子だくさんだなぁと思っていた。

ひとしきり話をして、彼女が席をはずすと、息子と紹介された青年が、
「本当は僕は息子じゃないんだ」
と、言った。

「市場の脇に橋があるだろ・・・その脇にサンドイッチの屋台があるんだけど・・・」
「本当の母親は、そこでパンを売っているよ」
「彼女は、いつも僕のことを息子だって紹介するんだよ」


数年後、彼女は、本当の息子一人を連れて、この小さな島を出て行ってしまった。
その前から離婚して、島を出ていきたいという話は聞いていた。
しかし、若くもない年齢で本当に離婚してしまうとは思わなかった。

「アメリカに息子が住んでいて医者をしているの」
「ベトナム政府は、私を外国に出したくないんだわ」
「この島の人は、私に島を出て行ってほしいと思ってるのよ」

本当の息子は、学校を出て島に帰ってきた。
家が漁師でもなく、船を持っているわけでもないため島では、
仕事に就くことができなかった。
そして、母親と一緒に島を出て行った。

彼女が、私に嘘を言ったなどとは思っていない。

今、この親子は、新しい町で幸せに暮らしているだろうか。


※写真は、よく遊びに行っていたフーコックの自宅二階。この日は、親戚の子が遊びに来ていた。

2007.12.03 Monday

ラクジア港の子供たち!



ベトナム・メコンデルタ・ラクジア(RACH GIA)
海沿いでカンボジアも近い。
子供たちもクメール系のようだ。

フーコック行きの船の出る港には、たくさんの漁船、小さな旅客船が溢れていた。
船と船の隙間で子供たちが遊んでいる。
ちょっと見ると、カンボジアで撮った写真のように見える。

大きく揺れるフーコック行き旅客船は、
高速船になり、時間も丸一日から数時間へと時間も短縮された。

ラクソイからは、飛行機も出ていている。

あと何年かすると、子供たちもちゃんとした水着を着て
ビーチできちんと海水浴をするようになるんだろうな。


拡大地図を表示

2007.11.23 Friday

ベトナム・メコンデルタ・アオザイ



ベトナムの正装「アオザイ」
ベトナムは、もともと中国の影響の多い土地柄、
チャイナドレスがその原型とされている。

1744年グェン王朝ヴーブオンがズボンを正装に指定したことでセパレートになった。
そして、現在のアオザイのようにスリットが入り、体のラインが出るようになったのが、
1938年、現インドシナ芸術大学のカットゥオン氏によってアレンジされた。

1986年のドイモイ政策を契機に民族衣装のアオザイが復活。
現在では、高校の制服などに多く採用されている。
結婚式などでは、シルクを着るそうだが、毎日着るアオザイは、ほとんどが化繊だ。

写真は、メコンデルタのある町の昼時。
学校二部制のため登校下校の学生で学校周辺が一面真っ白になる。


2007.04.05 Thursday

ベトナム・メコンデルタ・ヴィンロン市場!




市場の喧騒の中、自転車の荷台の上から静かに私を見ていた。

カメラを向けると、背伸びをするように、ゆっくり羽を広げた。
シャッターを切り終わってもまだ大きく羽を広げたままだった。

ふと不思議な感情に襲われて、辺りを見回した。
視線をもとに戻すと。。。

荷台の上のアヒルは、羽をたたまれ逆さまにつるされていた。
さっきのアヒルがどれだったか、もう分からなくなっていた。

涼しげなまなざしの印象だけが残った。




〈写真展ベトナム・人・風より・・・2002年ドイフォトギャラリー〉

▲top